作品〝夕陽のなかの躍動〟について
インテリアと絵の関係
インテリアに映える絵というものは確かにある。その場合〝映える〟というのは、作家が意識してどのようなインテリアにもマッチするように描いたものではないだろう。
思うにインテリアに映える絵があるというよりも、その絵の魅力を引き立たせるインテリアがあるというのが適切な表現ではないだろうか。
たとえば赤い絵ならどのようなインテリアに映えるだろうか?
私が描いた〝夕陽のなかの躍動〟という絵は、夕陽の赤系統の色彩をメインに使っている。
いくつかサンプルを載せてみよう。
私の部屋は狭く、私自身経済的にたくさんの額縁を買う余裕はないので、文明の利器を使うことにする。
画像編集アプリだ。
このような薄暗い部屋の配置で、やや藤色がかった色彩の場合、額縁の金との相乗効果もあるが、オレンジや赤系統の絵は引き立つ。照明次第であるが。
次に下の写真を観てみたい。全体として暗い部屋に青色系統の布や置物、椅子がある。ここに絵が浮き上がるような淡い照明を当てると、絵の赤色が引き立って見える。ここでも照明は重要な役割を果たす
では、赤に赤ではどうか?
悪くはないが、額縁のマットに黄色を少しだけ加えたらどうなるか
温かみが増すと思う。集中の空間ではなく、くつろぎのには適している。
もちろん額装せずに、単体で飾るのもシンプルな良さがある。
このように、絵は飾る場所、部屋、額装、照明、壁や調度品の色彩によって見えかたが変わってくる。
ただ、インテリアにはそれぞれの生活空間によって限界があるので、このようなことを頭に入れつつも、自分らしい内装・外装で絵を飾るのが良いと思う。
〝夕陽のなかの躍動〟にこめたもの
そこには風が吹いていなければならない。そこにいるスピリットはネイティブアメリカンの子どもだが
彼らは幼い頃から馬を乗りこなす。馬も彼らを信用している。お互いがお互いを大切にし、尊敬している。
あなたはその絵のなかにいるネイティブアメリカンの子どもにもなれるし、誇り高い馬にもなれる。
そこに風は不可欠だし、夕陽は美しく砂漠を照らす。
それが歓びなら西へゆけ
それが幸いなら東へゆけ
という私の詩の一部はここに宿る。
あらゆる自立したストイックな魂たちの言葉少なな純朴に、しかもポジティブな純朴にこの絵は捧げられている。
そこに必要不可欠なものは人と自然との理想的な関係性だ。
私は昔のネイティブアメリカンの写真をみる度に思う。彼ら彼女らの美しさは一体どこからくるのかと。その度に
彼ら彼女らの自然との関係性の追求が感じられる。
そこにはいつも風が吹いていて鳥や獣たちや草木の声が聴こえる。
この絵はそういうあらゆる郷愁的なうつくしさに憧れる思いをこめて描いたものだ。
この絵の真ん中あたりにシンボル的な文字がある。それは古代日本の神聖文字で、簡単にいうと神を表す。
私は日本人だからこの文字を採用した。私がネイティブアメリカンなら部族の文字を使うだろう。
この文字はあらゆるくだらない学者連中や理論理屈に毒された社会的な連中には到底理解できない人と自然との平和にアクセスする祈りがある。
私はこの絵を必要とする、縁ある懐かしい魂がこの絵を身近においてくれることを願っている。