自分らしい色
人間には固有の色彩がある
絵を描いていると年月の経過とともに自分にとって最もしっくりくる色彩というものがわかるようになる。
初めはなんとなく好きな色があり、自分はどうやらこの色が好きなんだなと漠然と思っている。
たとえば青色が好きだとする。青色を多用する絵を描くようになる。
ずっと描いていると単色の青が変化していることにふと気づく。
そしてある時こう思う。「あれ?俺はずっとコバルトブルーが好きだと思っていたが、インディゴブルーを知らず知らずのうちに使っている。俺は本当はインディゴブルーが好きなのかもしれない」
そしてまた月日が流れる。
インディゴブルーを相変わらず多用しているけど、また気づく。インディゴブルーの中に少量のグリーンを混ぜている自分に。
そのような感じで自分の傾向を意識し始めると自分が好きだと思う感覚は自分が最も落ち着く、自然な情感がたちこめていることが感じられるようになるだろう。
思うにそれは人間にとって一つの大きな進化と言って良いのではないか。その感覚は年月とともに自分が獲得した財産である。それは自分の世界での覚醒である。「そうそう。この色だ。俺の人生はこの色とともにここまで来た。 そしてこの色あるところ俺は必要最低限の安心、満足、幸せ、精神的余裕を享受している」
それに気づくと同時に人生は急激にリアルになる。私から発している他ならぬ私自身の色彩が
新しい次なるステップに精神的存在の私の手をひいてつれていってくれるから。
私色の色彩に気づいたらどうなるのか
私の人生は私本来の色彩に満たされるようになる。
たとえばインディゴブルーに少量のグリーンが混ざった世界が私の読む本の登場人物の背景を彩り、私の日常に隠れていた様々なインディゴブルーたちが樹の葉の影となり、甲虫の翅の色となって私の周りにやってくるのだ。
それだけではない。ブルーを引き立たせる数々の色彩の中に私は招かれるだろう。
たとえばオレンジ色の夕陽の真ん中に立っている私がいるだろう。
たとえば黄色いチューリップ畑のなかで風に吹かれる私がいるだろう。