アートとスピリチュアル
アートにはスピリチュアル性が宿る
スピリチュアルというと霊的な世界観で、様々な現実をも霊的視点によって見るという立場が一般的だ。
この現実世界よりもはるかに広大無辺な霊的世界が展開しており、その世界を根源として波紋のように様々な世界が広がり、我々が見ている世界もその中の一つであるという。
根源から展開される世界は無限に多種多様であるがゆえに我々の可視領域ではとらえられない次元であるとも言う。
なるほどそんなものかもしれない。それを示唆する様々なあり様がこの世界にはあるし、発見もされている。
たとえば池に石を放り込むと波紋が広がる。石という原因=源があり、それまで無かった波紋が広がる。
たとえば原子は、原子核とそのまわりを回る電子から構成されている。
また、広大な宇宙も根源的中心として太陽があり、そのまわりを惑星群が公転している。
銀河系も、ハッブル宇宙望遠鏡の撮影画像を見ると非常に明るい中心群のまわりを太陽系などの無数の恒星が回って渦巻いているように見える。
我々の生活している現実も根源世界を中心に公転している様々な現実の一つであり、その現実は波紋のように他の現実に影響しあっていると考えても何の不思議もない。
アートはそのような世界のあり様を充分にわきまえたうえでの人間に与えられた道のひとつだと思う。
リンゴ一つを描く場合も、そこに画家がいて、画家が描くと決めたリンゴがあり、絵が生まれる。その絵はやがて多くの人の目に触れ、様々な現実を内包する人間の主に精神的な世界に磁場を持ちながらひろがる。
これは多分にスピリチュアル的である。
アートがスピリチュアル的ということは詩的でもあるということだ
スピリチュアル的であることは詩的でもあると思う。
物事の成り立ちはあまりにも不思議であり、そこに見つけられる様々な美は神々しい。
観る者としての存在が観られるものとしての存在を愛でている状態、それがアートだとしたら
アートは詩的でもあるということになる。そこに学術的な解説や議論はあまり意味がなく、つまりそれは在るという絶対的な事実のみがきらめいている。そのことは詩的なアプローチ以外の方法では表現し難いからだ。
つまり私たち鑑賞者や表現者は何をすべきか
アートはスピリチュアル的であり詩的である以上、私たち鑑賞者や表現者はすべきことがある。
それはそのことを楽しむことだ。アートを観るにせよ創造するにせよ、アートとともにダンスを踊る。
これが最も大事なことではないかと私は思う。