静天凪の絵と造形 静天凪はアニミズムアートに基づいて、ポリネシアンアートやネイティブアメリカンアートにもつながる祈りや生命賛歌を表現します。レムリアの魂にむけてメッセージ性ある作品を描いております。

日常に芸術と潤いを

日本人の日常に芸術はあるか

 

現代日本社会の一般的日本人の日常生活に、芸術というものはどれだけあるだろうか。

たとえばオフィスの壁に、たとえば自分の部屋や居間の壁に、絵は飾られているだろうか?

もし飾られているとしたら、その絵はあなたの心に響くものだろうか?もしくはあなたの心に何らかの良いエネルギーを喚起させるものだろうか?

残念ながら私の感想としては、現代日本には生活レベルにおいて各人を潤す芸術が浸透していないのではないかと思う。

特にプライベートな空間においてそれは乏しい。

オフィスでは個人の趣味に合うものが飾られていない場合もやむを得ないが、プライベートではいくらでもそれを充実させることが出来るにもかかわらずである。

 

 

芸術は人を潤す

 

画家としての私の意見だが、芸術はそれが自分のフィーリングに合うものならば必ず日常においてその人を潤すと思う。

現代社会は言うまでもなく様々な理不尽、戦争、悲しみ、喧騒が渦巻いている。

そんな中で人は潤いをどんどん無くしている。

虚無的になり、攻撃的になり、悲観的になっている。そういう状態では人としての余裕が失われて刹那的なものが日常を支配するようになる。壁などの生活空間に自分のフィーリングに合う絵を飾ろうと思える余裕さえもがなくなる。

 

 

 

余裕が芸術を増やし、充実させる

 

どうすればいいのか。とにかく自分の空間を多角的に美(と自分がみとめるもの)で満たすことである。

ジャンルを問わず、〝美しい〟〝前向きになれる〟〝おもしろい〟等と素直に思えるもので自分の空間を満たせば

心や現象がそれに引っ張られて具現化してくる。潤いや新鮮さが自分の生活の雰囲気を変える。

そのためには余裕が必要である。そんなものが現実生活の何になるのかというマインドではダメだ。

一見無駄なものに感じてもそれは意味があるのである。

その余裕こそが壁に絵を飾ろうという思いになり、気分や季節によって飾る絵を変えてみたり、色々なジャンルの絵や芸術品を購入する原動力となるのである。

このことはヨーロッパでは一般的なものだが、日本では未だ浸透していない。

私はこの日本で、この余裕から生まれる潤いの価値観が広まる事を願ってやまない。

 

 

 

 

 

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