アートとしての扇子・ファッション性
アートとしての扇子
画家が扇子をつくるなら、言うまでもなくアートとしての扇子である。そこにはファッション性が加味される事もある。
周知の通り、扇子には歴史がある。この国の歴史での扇子はアートやファッション性を云々するに至るまでに数々の展開があり、ひろがりがあった。まあ、だからこそ歴史と言うのだろう。
私は現在、それらの歴史や、歴史に伴う各分野へのひろがりをふまえて、それらに敬意をいだきつつアートとしての扇絵を描いているところである。
※私が描いた扇絵。奈良時代の貴婦人がすすき野原に立つ姿を描くことで、万葉集時代の日本の原風景を表現している。
日本人本来のDNAをONにしたいとの気持ちで描いた。まだ職人に依頼しておらず、扇としての形はなしていないが
絵画としてはこの状態である。
では簡単に扇子というものの歴史を見てみよう。
扇子の歴史
扇子の起源は日本であると言われている。その誕生は平安時代初期にまで遡る。当時の記録用具である木簡の片端を紐でとじたものを〝桧扇〟と呼び、それが扇子のはじまりだとされる。その次に竹と紙で出来た〝紙扇〟が作られた。
これが宮廷行事、能楽、茶道、舞踊などの用途に応じて種々様々な扇子が生まれたという。ちなみに時代は下るが将棋の棋士や落語家なども扇子を必需品として持つ。その意味は各分野により、様々なものがあるのであろうと推察される。
そもそも扇子とは?
現代では涼を取るために仰ぐ道具としてのイメージが定着しているが、平安時代では位の高い人が自身の顔を隠すためのアクセサリーとして使われていたのがはじまりであるという。
また、棋士等が持つようになったのは、戦国時代の武将が進軍の折、家来に指揮する時に持っていた軍配の名残という説もある。
そして現代のアートとしての扇子へ
モノは日常とともに変遷し、時代とともにその目的が変化する。
扇子も然りである。
道具としての側面はついにはアート、芸術性の追求へと変化する。
扇子は見てきたように当初より肌身に寄り添う性質上、ファッションとしての側面を今日まで維持している。
ファッションはせんじ詰めればアートである。アートとは本質的に自由さがなければならない。
私は長い歴史を持つモノ特有の様々な決まりごと、謂れなどに敬意をもちながらも、現代人として自由に表現していきたいと考えている。
たとえば西洋の絵画史では紙や板などのパネル、布を張ったキャンバスが絵の支持体のメインだった。
だが本来絵というものは何に描いても構わない。それが絵ならばそれでいいのだ。
扇子は日本古来の独特なファッション性に基づく道具であるが、当然それを支持体にしても良いのである。
日本人が自国の歴史を受け継ぎながら、その芸術性において敷居を取り払い、より自由に表現してゆく。
これはとても意味あることではないだろうか。
※私が描いた扇絵。上掲と同じくまだ仕立てに出していないが、私なりの解釈で描いた吉祥弁財天である。
深い女性性から広がりゆくぬくもりある太古からの美を描いた。
この世にひろがる様々な争いや暴力、言葉の穢れなどを祓うという目的で描いた。