鷲の絵と空
鷲と空はセットだ
当然のことだけど鷲と空はセットである。空あってこその鷲だ。
鷲の絵を描く時、私も空を飛んでいる。
意識の世界は自由だから、描く鷲の姿に同化して自分も空を飛ぶのだ。
その時どんな空を飛ぶのか?
夕暮れの空?朝焼けの空?それとも灼熱の砂漠の、真昼の眩しいが底抜けに青い空か?
いずれにせよ鷲を描く時は私も空を飛べるから
私は鷲を描くのが好きだ。
ARTZENEにて販売している鷲の絵
私は現在、ARTZENE(https://www.artgene.net)にて自分の作品のジークレー複製画を
いくつか販売している。
その中に鷲の絵がある。
題名は「あの空に翔ぶ」である。
人には生きていく時間軸のなかで空を見上げる瞬間がいくつもある。
わたしの時間軸のなかで見上げた夕暮れの空
そこに鷲は飛んでいなかったけど、様々な想い出と情感が混ざりあった意識が
絵の中で鷲を現出させた。
当然鷲と同化して空を飛んだりしながら描いたものだ。
複合体としての絵
あの日の空は、あの日に至る様々な物語とつながっていた。そしてそれは絵として今に現れる。
想い出や情感の複合体は絵となった時点で
有機的に過去現在未来が混ざり合う。
作り手の世界は有機的に鑑賞者の世界とつながり、また新しい情感や物語のなかの
ひとつのモノとしてそこに置かれる。
かくありてこそかくある。
それは大層おもしろいことではないだろうか。