白頭鷲の絵
白頭鷲の絵
私の好きな青空を背景に、白頭鷲を描いた。
鷲には風格がある。大空に融けるかのような勇壮な飛びかた。
遥かな高度から大地を俯瞰し、獲物を探るその鋭い目。
人の生き方もかくあれかしと思う。
とかく人の世は近視眼的生き方に満ちあふれている。
その原因のひとつに、私はテレビがあると思っている。
テレビが流す情報に依存している人々があまりにも多い。
自分の目で見ようともせず、〝専門家〟〝知識人〟という出演者の言う事を鵜呑みにしている。
鷲は自立している
鷲は一羽一羽が自立している。
自然界では安易な依存は即、死を意味するから当然だ。
自分の目で獲物を探し、自分の判断で選定する。
上空からの俯瞰は大地の状況、周辺のあり様を総合的に瞬時に把握し、
次の行動につなげる。
そこに茶の間で見るテレビのようなお気楽さは微塵もない。
だからこそ、鷲は美しいのだ。
だからこそ、鷲は勇壮なのだ。
なぜ鷲は空に融ける事を許されているのか?
鷲は自立しているからだ。
鷲の絵に宿るスピリット
私の鷲の絵はそのようなスピリットを宿している。
心ある人
志ある人は感じるかもしれない。
その時
自ら立つ人は白頭鷲のようなスピリットに共鳴し、
鷲たちのように美しくなるだろう。