猫たちは何故
猫たちの不思議な調和
我が道をゆく猫たちは
マイペースで、好きなものを好きといい、嫌いなものには近づかないが、
それなら人間社会では浮いてしまい、
社会からはみ出し者のレッテルを貼られかねないのに
何故か自然の景色に溶けこみ
建物の風景に調和している。
猫たちがいる景観は不思議と穏やかで
違和感がない。
多くの詩人が猫たちを美しいと歌い、多くの画家が猫たちの美しい日を描く。
そこにはどんな秘密があるのだろう?
人間たちに餌を貰い、世話をしてもらっているという外見上の立場に対して、
猫たちはむしろ気持ちがいい位にまったく意に介していないのだが?
猫たちの住んでいる世界
私が思うに猫たちの住んでいる世界では人間など存在していないのではないか。
ただやたらと世話好きな二足歩行の〝人間〟という変な猫たちがいると思っており、
何故だか知らないが「私」や「俺」の面倒を見てくれる。
何故だか知らないが可愛がってくれる。
それならまあ、相手にしてやってもいいし、
場合によっては仲間として受け入れもすると思っているのではないか。
どうも私はそんな気がするのだ。
だから猫は猫
だから猫の世界では猫しかいないのだ。
すべては自分たちの何らかの一族であるから
どんな景観のなかにあっても一族が創った共同の庭であり、
そのなかで気に入った場所をテリトリーとするのは構わないし
当然のことなのである。
私は猫たちの悠然としたあり方に、そんな説を仮定している。
そしてこの説は遠からず外れてはいないと自負している。