薪に火を焚べろ
薪に火を焚べろ
心を鋭敏に、クリエイティブに生きる時、この世はあまりにも寒くてあまりにも暗く、あまりにも悲しい。
「どうすりゃいいんだ?」って周りに聞いたって誰も答えてはくれない。
極寒の冬になすべき事はただ一つだ。
薪に火を焚べる事だ。
凍死したくないならば。
〝薪〟は人によって様々だ。
ある人は歌かも知れない。
ある人は料理かも知れない。
〝薪〟の種類は複数あって構わない。
私にとっては絵であり、和紙による造形であり、詩であり、物語を紡ぐ事である。
それがどんなに一見たわいないもののように見えても、私にとっては大切な大切な薪なのだ。
薪さえ燃やせば、凍死はしない。
朝陽が顔を出すまでに
陽が昇れば、どのような過酷な寒冷地帯にも恩恵がもたらされる。
最も寒いのは陽が昇る直前までの間だ。
あまりにも寒いので現代人の多くは借り物の娯楽や表面だけつくり飾られた、一見賑やかな、一見暖かい、群れの幻影に身を浸す。
テレビをつけ、お馴染みの芸能人やニュースキャスター、ミュージシャンなどが語る話題に、インスタントラーメンをすするように身を委ねる。
自分の中にある薪を探そうともせずに。
生きながら凍死している現代人
インスタントな娯楽を自らの趣味とし、作られた〝笑い〟や計算された〝思いやり〟や
元祖エンタメのハリウッドに源を発する〝恋愛至上主義〟色付けされ格好よく飾り立てられた偏った〝勧善懲悪〟
そんなもので暖を取ったつもりになっている現代人の多くは
実は生きながら凍死していると私は思う。
火を焚べるのか凍死か
生きながら凍死している人は、凍っているので自分の状態がわかっていない。
それでも〝みんな〟と同じように暖をとって
芸人による笑いを受け身で笑い、
ニュースを受け身で受容し、
群れの中で何度も頷き、愛だ恋だと言いながら
寒さをやり過ごせていると思っている。
要するに
麻痺による仮想の暖だと私は思う。
麻痺するのかそれとも寒さをはっきりと自覚しながら
自らの薪に火を焚べるのか?
中間はない。
私は薪に火を焚べる事にした。
ドラム缶にどんどん薪を投入し
とにかく火を焚べる。
何故ならとても寒いから。
可能ならばここから立ち昇る煙を
遠くの方にいる同類たちが発見してくれれば嬉しいと思う