SAMURAI・サムライ・侍
侍?サムライ?SAMURAI?
もう随分前に合気道を習っていた事がある。
その稽古のなかで一番興奮したのが、剣を使っての技だ。
サムライになった気分になった。
今、絵のモチーフにサムライを選ぶことがある。
そもそも私にとってサムライとは一体何だろう?
日本人としての強さの象徴なのか?
合気道は実戦の役に立たないという人がいた。その人曰く闘っていかなる相手をも制圧できなければ武道ではないと。なるほどそれも一理ある。今はキックボクシングもあれば、戦闘に特化した格闘技がたくさんある。
合気道のような一種お決まりの大仰な動きでは戦闘に対応できないと。
一理あるが私にはしっくりこないものがあった。
闘って勝てばそれで良いのか?
サムライとは自分のまもるもののためにただ相手を殲滅すればよい存在なのか?
それが古来からの日本人としてのサムライのあり方なのか?
私が興奮した剣の稽古に垣間見えたサムライ
ただ向かい来る相手を倒せばよいというなら〝道〟という字は要らないと思った。
私は何度か能に出てくるサムライを描いたが、その種の〝強さ〟などは私にとってはどうでもいいのだ。
道に立ち、それでも悲しい彼らの無念や情動が
死したのちといえども浮かび上がり、浄化して、結局道に帰り天界に昇ってゆく…
そんな情感あふれる彼らの稽古していた剣に興奮したのだ。
クールジャパンと言われるサムライ
剣をさし、着物を着、髷を結った、現代社会からはかなり異形な格好良さは
人殺しの格好良さではない。
私がどれだけ描けるかわからないが
歌を詠み、月夜に吹くための手入れの行き届いた笛を懐にしのばせていた
そんな武士〝サムライ〟のクールさを
私は少しでも描けるようになりたい。