猫の絵そして魅力
猫の魅力
猫という生き物は、詩や絵を描く者にとってのある種の理想形を体現している。
一つは自由ということ。
一つは感覚的ということ。
一つは自分に正直ということだ。
ものの作り手とは多かれ少なかれ、このような特性を持って生きていると私は思う。
自由
誰かに褒められたり表彰されたり、どこかのグループに入れてもらって〝なかよく〟〝和気あいあいと〟過ごすために払う努力など猫には皆無だ。
自由はそのようなものに価値を置かないあり方から湧出する。
猫にはそれがある。
感覚的
物事の大半は、「見ればわかる」のだ。すなわち何が危険か何が安全か、雨が降りそうか降らないか、誰が悪い人間で誰が良い人間か、どこに〝うまい〟ものがあるのか等々だ。
思考に偏った人間や鈍感な人間はそれがわからない。それが無いと言っても良い。
しかし
猫にはそれがある。
自分に正直
人間は社会という群れ生活の中にいると、嫌いなものをまるで好きなもののように振る舞い、嫌な人間にも愛想良く振る舞わなければ立ち行かないという集団的強制のようなものに晒される。それが群れのなかで適度な快楽を維持するための重要条件だとおもっている(思わされている)。
つまり人間には自分への正直さがない。一方猫はそんなものくそくらえである。
要するに
猫にはそれがある。
私は常々思う。人間のなかでわりと猫の特性に近いところにいる我々は
現代社会というとんでもなく不自由で面白味のない世界にあって
猫たちの自由性に学ばなければならないと。
猫の絵や猫の張り子を私が手がける時、こころの片隅にはいつもそんな思いがある。