静天凪の絵と造形 静天凪はアニミズムアートに基づいて、ポリネシアンアートやネイティブアメリカンアートにもつながる祈りや生命賛歌を表現します。レムリアの魂にむけてメッセージ性ある作品を描いております。

すべての種子には原型が宿っている

種子はちっぽけです。

あんな小さな頼りない、吹けばとぶようなものから

よくもまあ花だの葉だの実だの根だのができるものだと私はいつも思います。

わたしの作品が種子だとしたら

一体どこへ飛んでゆき、どんな土地に落ち着き、

どんな花を咲かせるのでしょうか。

自然界の種子を観察していると、すべての種子には原型が宿っていることが感じられます。

ならばわたしの作品にも原型が宿っているのでしょう。

どんな形でどんな色のどんな大きさの花かは既に完全にここにインプットされているのでしょう。

 

すでにここに花は内包され、

実も葉も不可視の世界に存在しているのだと思います。

わたしが〝うつくしい〟と思い、絵として造形作品として表現したいと思ったその美は

わたしの作品としての種子となって、わたしの作品を観る人の中に撒かれる・・・

ロマンチックな想像でしょうか?

甘ったるい価値観でしょうか?

馬鹿げた考えでしょうか?

 

だけどわたしは言うでしょう。〝そうであることを知っている〟と。

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