能翁の魅力と芸術(アート)
能楽「翁」にはいくつもの魅力がある
数ある能楽の中で、翁は別格の位置にある。様々な点において翁は他の能と異なる側面を持つ。その歴史の源も従来の能楽よりも古いものと推測され、奈良時代に中国から伝来した散楽(さんがく)に日本的な解釈と風土の神事を加えて伝承されてきたものではないかと思われる。
観阿弥、世阿弥が現れて現代に知られている能の形が大成されたのが室町時代の初期だから、翁能はそれ以前の国風を引き継いだ独特の雰囲気がある。
具体的に言うなら奈良平安時代の雰囲気である。
万葉集を愛する私としては、直感的にかの時代の気風を感じるのだ。
おそらくそこには日本の古代の伝説や伝承の跡がある。古代日本人の信じていたことや、願っていた事が凝縮されている。
それは、翁の厳かな所作のなかに現れ、荘厳な舞のなかに現れている。
それは、翁が語る謎めいたコトバの中に現れ、翁能にしかないいくつもの決まりごとの中に現れている。
それは、神事であり、人が神とともにあるために必要とした演芸である。
能翁の具体的な特異点と魅力
翁を演じる役者は上演前の一定期間、潔斎精進の生活を送り、心魂を清めて臨むという。
また上演当日は多くの場合、舞台上部に注連縄(しめなわ)を張って場を清める。つまり結界を現出させるわけだ。
翁を演じる役者の控室である〝鏡の間〟では祭壇を設け、儀式を行い、ここでもあらためて身を清めるという。
これらをみても、「翁」という能楽がいかに特別かがわかる。
また、翁では他の能のように最初から面をつけてはおらず、翁の役者(シテ)は舞台の上で深く礼をしたのちに座る。小鼓と地謡の掛け合い、シテの謡ののち、千歳が舞う。千歳はここでも場を清める役をつとめる。その間にシテは翁面をつけ、神に変身する。翁が舞い謡い終われば再びシテは面を外し、丁重に箱に納入して退場するのだ。
すべてが荘厳である。
衣服、所作、謡い、舞い、楽曲がすべて芸術であり、その芸術性(アート)の上に神が降臨する。
神は人々の心や願いを受けてこのことばを謳う。
〝五穀豊穣〟〝天下泰平〟と。
やはりそこには芸術(アート)がある
私は能楽に深い魅力を感じるし、その根源は翁能にあると思っている。
能全般を見渡せば、主に仏教思想に基づく悲喜こもごもの人の世の無常、無情、もののあはれ、わびさびなどが漂う。しかしその根源には翁のポジティブバイブレーションがある。
能楽を観る時、こころを空っぽにすれば神や仏の温かい視線を感じるのだ。
それがどれだけ濃厚に感じられるか。それはそこにある芸術性次第であり、もしその芸術性が高く磨かれていたならば、あとは観る者の裁量に委ねられるとわたしは思う。
画家としての私はこの翁のバイブレーションを芸術性の伝播として絵にあらわす事が何より大事なことだ。
目標は高く持ちたい。